「ドンチッチョ」のひと皿

Sea Dream 35号「このシェフに、ひと皿あり」より

photographs by 鈴木 勝 Masaru Suzuki

「ドンチッチョ」で食事をしていると、ゴーという音が聞こえることがある。スポーツ観戦やライブで時おり体験する、空気が震えるあの音だ。私はそれを、レストラン共鳴音と勝手に呼んでいる「イワシとウイキョウのカサレッチェ」が運ばれてきたときも、豊かな香りの向こうからその音は聞こえていた。

「ドンチッチョ」の指揮者は石川勉さんである。彼の料理人人生は40年前に始まった。1980年代、本場の味を学びたいと日本からイタリアへ渡った料理人たちがおり、石川さんもそのひとりだった。当時の彼らの多くはローマ、ミラノ、フィレンツェといったメジャーな街から修業をスタートしていたが、石川さんは違った。映画「ゴッドファーザー」が好きだからという理由で南のシチリア・パレルモに向かったのだ。

石川さんがシチリアのレストランで目にしたのは、男だろうが女だろうが、医者だろうが漁師だろうが、うまい料理と地のワインを片手に、おしゃべりしながら楽しそうにケラケラ笑っている客の姿であった。シェフも客席に混ざってしゃべって飲んでいる。レストランって楽しい。楽しくなければレストランでない。自分はそれを支える。石川さんの核がここで決まった。

ただ、この楽しいという言葉はなかなか曲者だと思う。「楽しい」レストランにしたいとカジュアルを謳う店は多いが、距離感の近すぎるサービスや、カジュアルと雑とをはき違えたような料理が来てしまうと会話は止まる。会話が止まると楽しくない。イタリア料理は郷土料理がベースにあり、マンマの料理とも謳われるので油断すると雑になる。そこを、家庭ではなくレストランでの料理にごく自然に昇華させることができるかどうかが、シェフの力量が問われるだろう。

素朴な見た目の「イワシとウイキョウのカサレッチェ」はシチリアを代表する郷土料理のひとつで、S字型の断面を持つカサレッチェの弾むような食感とエキゾチックな風味に引き込まれながら気軽にペロリと食べられる。しかしレシピは緻密だ。

まずウイキョウの葉は固いので重曹で下ゆでをする。このとき、かすかに海藻の香りがするという。なるほどイワシに合うわけだ。フライパンにオリーブ油を入れ、ニンニクの香りをじっくりうつしてからタマネギ、フェンネルシードを炒めて先のゆでたウイキョウの葉、トマトペースト、アンチョビを加える。ヒシコイワシを入れ、白ワインと先の葉のゆで汁も加え、干しブドウと松の実、サフランを加えてアクをとりながら1時間煮込む。これがソースとなる。ゆでたカサレッチェと合わせたら仕上げにカリカリに焼いたパン粉をふりかけて出来上がりである。三十種類以上もある「ドンチッチョ」のメニューはいずれもシンプルに見えるが、裏では皆、こんな感じで仕込まれている。

そういえば「ドンチッチョ」はよく、「チーム石川」といわれる。チーム石川はものすごい集中力で先のような仕込みをし、ゴッドファーザーのようにテーブルを囲んでまかないを皆で食べ、高いテンションのままチーム一丸となって営業へ突入する。この一連のエネルギーもまた、客と一体化し、レストラン共鳴音の芯となるのだろう。

文:土田美登世 Mitose Tsuchida

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