「オーベルジュ・ド・ぷれざんす 桜井」の ひと皿

Sea Dream 37号「このシェフに、ひと皿あり」より

photograps by Masaru Suzuki

奈良を存分に表現した料理を作ってください――このリクエストに応えてくれたひと皿が運ばれてきた。シャインマスカットの淡いグリーンと、その上に咲いているかのように散りばめられた白いエディブルフラワーが美しい。だがメインはその下にそっと隠れている。「オーベルジュ・ド・ぷれざんす 桜井」のシェフ、小林達也さんは、海のない県・奈良が誇る食材として「鯖」を選んだ。

奈良と聞くと、未だに「修学旅行以来行っていない」「柿の葉ずしと奈良漬けしか浮かばない」などと言う人がいる。昼は奈良で寺や大仏を見て、夜は京都や大阪で飲み食いし、寝る。でも、それもしょうがなかった。何しろ観光客の多さに対して、食べるところも寝るところもないのだ。夕方早くに店は閉まるし。それでも、まぁ、なんとかなった。大仏さんがいるからだ。だが、ここのところの奈良は違う。県と民間が協働し、食と宿泊が充実した観光地をめざそうと一気に舵を切ったのだ。僭越ながらここ10年くらい、県の要請で奈良の食を変えるプロジェクトに参加してきた私が言うのだから間違いない。


密かにずっと努力をしてきた地元のシェフたちはいた。だが、大きなきっかけのひとつになったのは2010年の「平城遷都13000年祭」だったように思う。そこからいくつかの渦が起こった。その渦のひとつが、「オーベルジュ・ド・ぷれざんす 桜井」のプロジェクトである。当時の荒井正吾県知事が、「奈良県の未来を支える、食と農のトップランナーを育てたい」と、地方再生の予算を国から引っ張ってきて、草ぼうぼうで何もなかった丘を開墾し、オーベルジュを併設した大学校を作った。2015年のことだ。オーベルジュがここ「ぷれざんす 桜井」で、小林さんが初代シェフに任命された。

シェフの小林達也さん。大阪「ラ・フェット ひらまつ」のスーシェフを務めたのち、2015年から現職。

岡山県生まれの小林さんも、奈良には「修学旅行以来来たことがない組」のひとりである。最初はとまどったというが、豊かな自然があり、日本の祖というゆらぎない歴史がある。秘めたポテンシャルを皿に表現できるチャンスを生かし、着任早々、生産者を訪ね、この地の歴史や伝統文化を学び始めた。
「奈良は、おもしろい」。畑を訪れる小林さんの足どりは日を追うごとに軽くなり、目も輝いていくものだから、最初は少々遠慮気味だった生産者たちも、気を許し、仲良くなって良質の食材の提供ばかりではなく、現場の本音をどんどん伝えるようになった。そうした彼らの思いを持ち帰り、日々移り変わる景色や素材の味と香りにインスピレーションを得てからキッチンに立ち、料理をコースで表現することが、彼の毎日のルーティンとなった。


ゼロから作るという苦労は並大抵のものではなかっただろう。だが結果、2021年には農林水産省から、地域の活性化に務める料理人を表する「料理マスターズブロンズ賞を受賞」し、「ミシュランガイド奈良2022」では1つ星を獲得するほど評価されるレストランを作り上げた。「最近は肩の力が抜けてきました」と、小林さんは言う。“ザ・フランス料理”で奈良を表現しなくては、と意気込んでいたが、最近では料理により添う形はもっと他にあると思うようになった。デザートの前に「小さな柿の食べ比べ」を提供するなど、ちょっとした遊び心も楽しんでもらいたいと願う心の余裕も出てきた。

さて、冒頭のシェフの料理「奈良のシャインマスカットと淡路島から来た鯖」は、見た目は先の“ザ・フランス料理“であり、要所要所にもそれを感じる。だが、着地点は和である。奈良である。シャインマスカットとグリーントマトのスライスの下には、柿酢でミキュイに締めた鯖、さらにその下にはフレッシュチーズにハーブとニンニクを合わせたクリーミーなセルヴェル・ド・カニュとやわらかく揚げびたしにされた奈良のナスが敷かれている。吉野葛でとろみをつけた和だしと、大葉の香りをつけたオイルの豊かな香りが添えられ、この皿のためだけの「天かす」の食感が楽しい。構成は複雑に思えるが、濃厚さと爽やかさ、うま味のバランスにスッとスジが通っているのであと味が心地よい。


「紀伊半島沖でとれた鯖が奈良に運ばれて来た鯖街道があって、その終点が桜井あたりだったのではないかと言われているんです。これが、奈良に鯖寿司の文化をもたらして、その一つが柿の葉ずしなんですよ」と、小林さんは饒舌に語っていた。そういえば奈良県の人たちは「柿の葉ずしは、鯖じゃなきゃだめだ」とよく語る。マイホームも購入したという小林さんはもう、すっかり、奈良の人であった。

支配人の鈴木政徳さん。実は本写真を撮ってくれたカメラマンの鈴木勝さんのいとこ。
支配人の鈴木政徳さん。実は本写真を撮ってくれている鈴木勝さんのいとこ。

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