Sea Dream 38号「このシェフに、ひと皿あり」より
photograps by Masaru Suzuki
このシェフに、ひと皿あり

トマトなど栃木で育った野菜を生、焼く、煮る、揚げるなど、それぞれの野菜にふさわしい料理法でまとめ、伊達鶏のブイヨンと栃木産豆乳をベースにした白いソースをかけた。その名も「栃木旬野菜」。

音羽和紀
Kazunori Otowa
1947年生まれ。大学卒業後、料理の世界へ。70年に渡欧し、「アラン・シャペル」などでの修業を経て帰国。81年に「オーベルジュ」を開店してから40年以上、さまざまな形で精力的に食の魅力を発信している。
栃木から世界に向けてフランス料理を発信し続けたい――1990年代前半、宇都宮の「オトワ レストラン」の音羽和紀さんから初めてこの言葉を聞いたとき、意味がよくわからなかった。日本でトップを走るフランス料理店は大都市でこそ輝きを放つものだと思っていたからだ。音羽さんは日本人がまだフランスへ行くことがむずかしかった1970年代初頭に、アラン・シャペルのもとへ日本人で初めて修業に入った。シャペルは故人だが今なお世界中の料理人からリスペクトされている20世紀を代表するシェフのひとりである。シャペルのもとに、それも日本人で初めてという音羽さんの肩書は東京でこそ生きると思ったし、失礼ながらそもそも栃木という地にガストロノミーという言葉がどうもしっくりこなかった。フランスに精通する人たちは「フランスでは地方にこそわざわざ行きたくなる名店がある」とは言っていたが、料理業界誌の新人編集者の無知な私には響かず、栃木にこだわる音羽さんの真意がよくわからなかった。

あれから30年。冒頭と同じ言葉を、今、目の前にいる音羽さんは変わらず語っている。そして今という時代はというと、多くの料理人たちが地方に目を向けるようになっている。地方ならではの開放感、自然、そして個性的な食文化を感じて楽しみ、そこに彼らの独創的な感性を織り込んだ「ローカル・ガストロノミー」という言葉が注目されるようになった。音羽さんの30年前、いや料理人になってからだから40年前から抱いている夢と理想に、時代が追い付いてきたということか。そして私もようやく、経験値ができた分だけシェフの当時の思いが理解できるようになった気がしている。
アラン・シャペルのあるフランスのミヨネーは、まわりに何もない小さな村で、交通の便も悪いと聞く。でも世界中からシャペルの料理を求めて人が集まっていた。フランス料理店が、シェフが、地域の重要な文化拠点になっているんだと、事あるごとに音羽さんから聞いていた。そしてさらに、音羽さんが言い続けていた言葉がある。「一代限りではせっかく根づいた文化が消えてしまう」と。
このタイトルにある「このシェフに、ひと皿あり」は、今回に関しては正確にいうと「このシェフ(の息子)に、ひと皿あり」だ。前ページの料理は長男の元(はじめ)さんが作った。現在の「オトワ レストラン」の総料理長である。レストランでは次男の創(そう)さんが料理のサポートとサービスを担当し、長女の香菜さんはレストランの別プロジェクトを運営している。音羽さんはほとんど厨房には立っておらず、子供たちが引き継いでいるのだ。音羽さん曰く「そそのかした」そうだが、強制されたわけでもなく、ごく自然に3人の子どもたちはここにいる。そして、彼らなりの「オトワ レストラン」を表現している。そのひとつが今回の皿だ。
栃木の野菜を生、焼く、蒸す、煮る、揚げるなど、それぞれの野菜にふさわしい料理法でまとめ、長く生産者と縁のある伊達鶏のブイヨンと地元の豆乳をベースにしたソースをかけた元さんのスペシャリテだ。音羽さんだったらどう表現しただろう? 伊達鶏をポワレにして、あるいはヤシオマスをコンフィにして、とれたての栃木野菜にとっておきのソースを添えて、かな?
時代は移り変わる。料理も移り変わる。だが、ぶれようもない「何か」は受け継がれていく。何かとは夢であり、魂であり、希望であり、文化であり。音羽さんは40年間でそれらをまとめ、強靭な見えない柱とした。それはやがて孫たちの世代にも受け継がれ、また新たな「何か」を持って、「オトワ レストラン」は未来へ続いていくのだろう。

音羽和紀さんはこの40年、厨房で料理を作るだけではなく、生産地へ出むき、食育にも携わり、講演やイベントにも参加し、多数の本を出版し、何社もの企業の顧問を引き受けてきた。日本のフランス料理界を栃木から牽引した功績が称えられ今年の春、黄綬褒章を受章された。

「栃木旬野菜」に合わせるワインは「北のぼリザーブ ココ・ファーム 2012」 。栃木「ココ・ファーム」の10年熟成のスパークリングワイで、北海道余市の木村農園のピノノワール90%シャルドネ10%を使用し、エレガントさと力強さが共存する。

音羽ファミリーが勢揃い。料理長であり長男の元さん(右端)とその隣は長女の香菜さん、料理のサポートとサービスを担当する次男の創さん(左端)。父親が何年もかかって練り上げてきたプランを引き継ぎながらも、切磋琢磨し、柔軟性を持ってシミュレーションを繰り返しながら、今、そして未来の自分たちの「オトワ レストラン」をめざす。音羽さんの右横にはともに歩んできた道子さん。理想に邁進できたのは家族全員の支えがあってこそだと音羽さんは語る。
オトワ レストラン
宇都宮駅から車で約10分。厳選なる審査のもと世界的に質の高いレストランで構成される「ルレ・エ・シャトー」に加盟。
[営業時間]
ランチ金-日11:30~15:00 (LO13:00)
ディナー水-日 17:30~22:00 (LO19:00)
[定休日]月火
栃木県宇都宮市西原町3554−7
TEL 028-651-0108
https://otowa-artisan.co.jp/

